五島列島でパワースポット巡り(3) 軍艦島観光/頭ヶ島教会


より大きな地図で 20130923 五島列島 を表示

三日目は五島列島を後にし長崎本土へ。長崎では同じく世界遺産申請中の「軍艦島(端島)」を観光します。

今回の旅行で船に乗るのはなんと10回目。もはや酔い止めどこしまったっけ?なんて悠長にツブやいてる次元ではない。



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6:16 三日連続で5時起きで、老後の早寝早起き生活を疑似体験しました。

すでに友達はサンライズを見に大浴場の露天に行ってましたが、全身の細胞から起き上がるのを拒否られたわたしは、部屋のバルコニーから見ることにしました。



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素敵な朝日です。今日も日差しが強そう。



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太陽からペンタクルに魔力を補充しました。

昨日、ディナーの焼肉でメラゾーマを使いすぎた。



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7:58 モーニング後、レストラン隣のベーカリーです。

最終日の今日は、朝一でレンタカーを飛ばして五島列島最東端の「頭ヶ島」に行き、重要文化財の「頭ヶ島教会(かしらがしまきょうかい)」を観た後、11:00出航の高速船で長崎港に戻り「軍艦島(端島)」を観光します。

軍艦島の名前の由来は、島の周囲がコンクリート岸壁に囲まれ、島内に高層アパートが密集する姿が当時の軍艦「土佐」に酷似してたためだそうです。



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9:31 チェックアウトすると早速、ルーラで「頭ヶ島大橋」に飛んで来ました。1981年に作られた中通島と頭ヶ島を結ぶ全長300mの可視境界線です。



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9:42 車で山を下ってくとロマネスク様式の美しい「頭ヶ島教会」に着きました。駐車場からの参道や石垣が花と緑で飾られておりとても趣があります。



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頭ヶ島教会は五島唯一の総石造りの教会で、国の重要文化財で且つ、世界遺産暫定リスト「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」を構成する13資産の一つ、と数ある五島の教会群でも主役級の一つです。もはや名工と言うしかない鉄川与助の設計施工で1917年に完成しました。



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柔らかい光が充満する教会内部です。堂内はハンマービーム方式で設計施行され、列柱等が無いため開放的なのが特徴です。

教会内の撮影は節度を持って、と注意書きがありました。



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天井や壁はツバキやユリやキクなど、五島に咲く花の意匠が凝らされた内装で、淡いピンクとブルーの色調は非常に「ゆるふわ」な雰囲気。



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壁にはキリストの受難を描いた聖画が飾られてました。

歴史的に、頭ヶ島は江戸時代末まで無人島で入植は1859年。中通島の鯛之浦の信者たちがキリシタン迫害から逃れて移り住んだのが始まりでした。しかし1868年、迫害の嵐は頭ヶ島にも押し寄せ、捕縛され拷問を受けた島民は島を脱出。島は再び無人島となります。



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キリスト教公認後、戻ってきた信者たちは、貧困に苦しみつつも苦難の歴史を忘れないためのモニュメントとして自分達の教会建設に乗り出しました。

建設は7年に及び、途中、資金難で二度中断。その都度、信者たちが乏しい財産を投げ打ち、建材の巨石を協力し合って運ぶなど幾多の困難を乗り越え1910年についに教会は完成しました。



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他の教会に無い堅牢な造りは、どんな苦難にあっても信仰を護り続けるという信者達の強固な意志が込められているようです。



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駐車場の先には美しい入り江が広がり、それを見渡すようにキリシタン墓地がありました。かつて苦難を経験した人たちが今は安らかに眠ってます。

お墓の周りに点在するピンクの花はマツバギクで、花言葉を調べると「忍耐」「勲功」「心広い愛情」などでした。



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10:50 有明港近くの営業所でレンタカーを返すと、営業所の人に車で「鯛の浦港」まで送ってもらいました。島の人はみんな親切。

ここから写真のスタイリッシュな「えれがんと号」で長崎港に向かいます。



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13:26 長崎港到着後、荷物をコインロッカーに預け、路面電車で太陽のギラつく常盤ターミナルにやってきました。軍艦島ツアーの申込所があります。



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今回、申し込んだ「軍艦島コンシェルジュ」のツアー船です。



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13:35 こんなネックストラップをつけて乗艦しました。軍艦島には色んなツアー会社の船が来るんでシャッフルされないためです。席は写真撮影メインならオープンテラスの二階の海際がベストですが夏場の暑さは尋常じゃないです。

船は満員御礼で凄い人気でした。これで世界遺産登録された日にはどうなるんだろう。



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外国人観光客も結構いました。広すぎる背中の後ろの席は、日差しを遮ってくれる半面、視界も遮る諸刃の剣だ。



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14:02 勇ましいBGMと共に出航しました。

かつて戦艦武蔵が造られた長崎三菱造船所が見えました。今は最新鋭のイージス艦が三隻、停泊中。ちなみに戦艦大和が造られたのは広島の呉港です。



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14:09 今度は右手に白く輝く立派な教会が見えました。

後で調べたら「カトリック神ノ島教会」のようです。「大浦天主堂」に次ぎ、長崎で二番目に古い教会らしい。



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14:31 洋上に出てしばらく航海すると、水平線から何やら巨大戦艦を彷彿させるシルエットが見えてきました。



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逆光で影になった軍艦島の雄姿です。要塞都市な姿は「彗星のガルガンティア」のようだ。



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船はゆっくりと島の桟橋に近づいていきます。迫り来る荒廃した巨大な廃墟と上空に飛ぶ3匹のワイバーンが魔王城感を醸し出してる。

荒ぶる魔法のペンダントを握り締め、いよいよ上陸します。



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上陸しました。軍艦島は南北に約480m、東西に約160mの大きさで島の3分の2が埋め立てで出来た半人工島です。崩れたコンクリートの残骸に雑草が生い茂り荒廃が凄いですが背後は観光客で賑わってるので終末感はあまりありません。



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14:46 第一見学広場に来ました。内外老若男女100人くらいで賑わってます。別のツアー客と被らないよう、うまく時間調整されてるようだ。

上陸後は島の南20分の1くらいの区画に点在する3箇所の決められた広場で、ツアー会社スタッフが軍艦島の歴史と建物の由来を拡声器で説明してくれますが、その手際の良さが逆に世界遺産登録で求められる対象資産の保全・整備より観光業が圧倒的に先行してる印象を受けました。



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第一広場での説明が終わると、スタッフの誘導の下、次の第二広場へゾロゾロ移動します。崩落の危険があるため、建物の中には入れず自由行動は禁止です。

これが映画だと、間違いなくわたしがスタッフの目を盗んで勝手に坑道の中に入ってって何かを目覚めさせてしまう役。ロードオブザリングなら坑道の奥の暗闇から寝起きのバルログが出て来て腰を抜かします。



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第二見学広場に来ました。写真のスターウォーズの「AT-AT」の残骸のような建物は第二竪坑(たてこう)に繋がる桟橋への昇降階段です。かつて島の作業員達は、作業現場となる海底下1000mの暗闇と事故の恐怖を振り払い、日々、覚悟を決めてこの階段を上がって行きました。



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写真真ん中の赤レンガの名残は「総合事務所」。かつてはこの一帯が島の炭鉱施設の中核でした。

ここには第二竪坑から戻ってきた作業員のための共同浴場もあったそうで、いつかテルエルロマエに出てくるかもしれない。



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15:03 第三見学広場に移動中。写真の建物は「鍛冶工場」のようです。

尚、さっきから見えてる白い灯台は島が無人となってから建てられたそうで、太陽電池で自立稼働し夜の暗闇を照らします。在りし日の軍艦島は24時間操業で夜でも作業照明が点き、島全体が光輝いていました。



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この広場で2009年のB'zのシングル「MY LONELY TOWN」のミュージックビデオが撮影されました。



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こちらは「仕上工場」です。軍艦島のほぼ南端に位置しており、この建物の向こうが第三見学広場となります。



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第三見学広場に来ました。奥の建物が日本最古の鉄筋コンクリート建築の30号棟、左奥の建物が島西岸の一部を囲うように立ち防波堤の代わりもしてた31号棟です。強烈な日差しで左手が完全に上カルビになっている。

軍艦島で最初に石炭が発見されたのは1810年頃。島全体が三菱に譲渡された1890年以降、炭鉱が本格稼働し島は海上の巨大炭鉱都市として発展しました。最盛期の1960年には5267人が住み、当時の人口密度は世界一だったらしい。



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再びツアー船に乗ると島の北岸に来ました。こっちは住居エリア。

軍艦島で取れる良質な石炭は長らく日本の近代化を支えてきましたが、戦後、主要エネルギーが石油に移行すると炭鉱は衰退し閉山。1974年に全島民が退去し、島はかつての活気を失い無人島となりました。



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陽の当たる西からの軍艦島の雄姿です。中から宇宙戦艦ヤマトが飛び出してきてもおかしくないくらいのド迫力。戦時中、付近に現れた米軍の潜水艦が軍艦島を巨大戦艦と間違えて魚雷を発射したという逸話も頷ける姿だ。

人の喧騒が途絶えて30年弱。軍艦島は日本近代化の礎となった産業遺産の一つとして再評価され、2001年に島が長崎市へ無償譲渡されると、市は荒廃し崩壊しつつある建物の修繕・管理に取り組みました。



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写真左の建物の上に「端島神社の祠」が見えました。危険と隣り合わせの作業員にとって神社は心の拠り所でした。本殿は倒壊しており祠だけが誰もいない島の留守を今も見守り続けてます。

2009年、観光再開と同時に軍艦島は顕著な普遍的価値を持つ人類遺産の一つとして後世に残すべく、世界遺産暫定リストに登録されることとなりました。



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15:49 軍艦島を後にしました。

2013年9月17日、政府は軍艦島を含む、8県28資産を有する「明治日本の産業革命遺産」を本年度の世界文化遺産推薦対象とすることを決定しました。これは同じく暫定リスト掲載済の「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」に先んじた形になり、2015年の世界遺産委員会で登録可否が決定します。



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17:14 長崎本土に戻った後、路面電車を乗り継ぎ、長崎パワスポ巡りのラストを飾るスポットとして、最後は正統派で締めようと住宅地の中にひっそりと佇む「山王神社」に向かいました。

って、数ある素敵な長崎の観光地の中でここを選ぶとは・・・無駄に玄人っぽい。



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住宅地の中にある山王神社の有名な「一本柱鳥居」です。

1945年8月、鳥居から北西900mの地点に落とされた原爆の爆風で片方の柱が吹き飛ばされ、熱線で上部が焼け焦げましたが、一本の柱だけで70年以上も立ち続ける「奇跡の鳥居」です。



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山王神社境内入口にある樹齢約500年以上の「被爆の楠木」です。

原爆の凄まじい衝撃波で幹も枝もへし折れ、葉は全て吹き飛び、周囲は焼け野原となりました。当初はこの御神木も枯死したかと思われましたが、爆発から3ヶ月経った10月に、奇跡的に新芽が芽吹いて復活しました。



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夕暮れ時の美しい拝殿です。山王神社は県社の皇大神宮と合併して創祀され、原爆で社殿は全て破壊されましたが1950年に再建されて今に至ります。

山王神社の御祭神は、以下の4柱を中心に複数神おられます。
・天照大御神(あまてらすおおみかみ)
・豊受比売神(とようけひめのかみ)
・大山咋神(おおやまくいのかみ)
・大物主神(おおものぬしのかみ)



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御参り後、拝殿から振り返ってみました。70年前、境内は爆風と熱線を浴びて焼け野原となってましたが、人の過ちは当時の狛犬の目にどう映ったのでしょうか。



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17:29 夕陽に照らされる鳥居を見て立ち去りました。これから70年後も世の中変わらず、立ち続けていて欲しいです。

スケールが巨大な軍艦島の喧騒で高ぶった気持ちが、落ち着いた神社で静まりました。やはり神社は日本人の精神的なふるさとです。



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18:53 最後のシメで長崎新地中華街で長崎ちゃんぽんを食べました。

この後、お土産を漁ってから長崎空港に向かい、ルーラではなく飛行機で帰りました。30超えて魔法が使えるなどバレたくない。(完)

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